娘は、家では本当によく笑う子です。
夫とふざけ合ったり、私に思いついたことを楽しそうに話したり。
安心できる場所では、
歌を歌ったり、踊ったり、家族を笑わせてくれたり。
そんな娘を見ていると、
「この子、ほんまに面白いわ〜」と思います。
でも、保育園のような集団に入ると、まるで別人のようになってしまうことがありました。
先生に聞きたいことがあっても聞けない。
困っていても黙ったまま。
周りのお友達の様子を見ながら、どう動けばいいのか分からず立ち止まってしまう。
家で見せる姿を知っているからこそ、
モコどうして保育園では、
自分らしく過ごせないんだろう…
そんなことを何度も考えていました。
繊細な子どもを育てる中で、「このままで大丈夫かな」と思っていた
娘は、小さい頃から慎重なタイプでした。
- 初めての場所
- 初めて会う人
- 予定の変更
- 大きな音
そんな出来事があると、気持ちがいっぱいになってしまいます。
私は、
「少しずつ慣れていけたらいいな」
「もっと安心して過ごせるようになったらいいな」
そう願っていました。
娘を否定したかったわけではありません。
ただ、毎日をもっとラクに過ごせたらと思っていたんです。
でも、今振り返ると、私は「娘のため」と思いながら、
別の気持ちも抱えていたことに気づきました。
繊細な娘を見ていると、子どもの頃の自分を思い出した
実は、私自身も子どもの頃は、娘とよく似たタイプでした。
- 人の表情や空気を敏感に感じ取る
- 周りに合わせようとして、自分の気持ちを後回しにしてしまう
大人になるにつれて、少しずつ環境には順応できるようになりましたが、
人の気持ちや場の空気に敏感なところは、今も変わっていません。
だから娘を見ていると、
「この先、大丈夫かな」
という不安だけではなく、
子どもの頃の自分まで心配していたのかもしれません。
今思えば、
私は娘を見ているようで、昔の自分を重ねていたんだと思います。
私が変わるきっかけになった出来事
昨年の秋、アドラー心理学の「勇気づけレッスン」を受講しました。
Instagramで以前から拝見していた、
不登校のお子さんを育てているお母さんが開催した講座でした。
きっかけは、娘の登園渋り。
でも、本当に学びたかったのは、子育ての方法だけではありませんでした。
それ以上に心にあったのは、
「もっと自分を優しく受け入れられるようになりたい」
余裕があるときは回るのに、少し崩れると、親子で一気に苦しくなる。
その根っこの部分を、少しずつ整えていきたい。
そんな気持ちが、心のどこかにあったんです。
講座の中で、
「”わかってほしい気持ち”が落ち着くと、子育てや行動を選択しやすくなる」
という言葉をかけてもらいました。
その言葉が、ずっと心に残っています。
私は、人には優しいのに、自分にはとても厳しい人でした。
「もっと頑張らなきゃ」
「まだ足りない」
そんなふうに、知らず知らずのうちに、
自分にだけ高いハードルを課していたことに気づいたんです。
初めて、自分に「ありがとう」と言えた日
講座を受けたあと、最初にやってみたことがあります。
鏡の中の自分に向かって、
「今まで頑張ってきたな」
「ありがとう」
そう声をかけてみました。
最初は照れくさくて、鏡の中の自分をまっすぐ見るなんて少し恥ずかしかったんです。
「頑張ってきたね」という言葉は、
これまでもノートに書いたり、周りの人からかけてもらってきました。
でも、「ありがとう」を自分に向けて伝えたのは、
このときが初めてだった気がします。
その瞬間、胸の奥がぎゅっと熱くなって、思わず少し涙ぐんでしまいました。
言葉がまっすぐ心に届いたような気がして、



あぁ、私はこんなに
自分を認めてほしかったんやな。
そんなことを感じた時間でした。
今はさらに学びを深めたくて、アドバンスレッスンも受講しています。
そして父の入院をきっかけに、実家や親との関わりについて考える時間も増えました。
子どもの頃のこと。
親との関係。
今の自分。
いろいろなことを見つめ直す出来事が重なったことで、少しずつですが、
「もっと楽に生きていい」
「自分に優しくしていい」
そう思えるようになってきました。
自分への関わり方が変わると、娘への関わり方も変わった
以前の私は、娘の「苦手」や「できないこと」にばかり目が向いていました。
どうしたら困らずに過ごせるだろう。
どうしたら集団でも自分を出せるだろう。
そんなことばかり考えていたんです。
でも今は、
- 娘が当たり前にできていること
- 安心できる場所で見せてくれる笑顔
- 小さな成長
そんな姿を意識して見るようになりました。
そして、
「今日は頑張って行けたな~」
「先生に聞けたの、すごいやん!」
「教えてくれてありがとう」
そんな言葉を、自然にかけられるようになってきました。
以前なら「まだできないこと」に目が向いていた私が、
小さな一歩を一緒に喜べるようになりました。
娘だけではありません。
夫にも。
そして、自分自身にも。
「ありがとう」を伝えることが増えました。
不思議なくらい、家の中の空気も少しずつ穏やかになっていったように感じています。
もちろん、今でも不安になる日や立ち止まる日はあります。
でも以前より、娘は自分の気持ちを話してくれることが増え、
「保育園が楽しみ」と話す日も出てきました。
それは、娘が急に変わったというより、
私自身の見方や関わり方が少しずつ変わったからなのかもしれません。
- 苦手ではなく「できていること」を見る
- 小さな成長を一緒に喜ぶ
- 自分にも「ありがとう」を伝える
繊細さは、弱さではなく個性
今でも私は、娘の将来を心配することがあります。
でも以前のように、
「変わらなきゃ」
とは思わなくなりました。
安心できる場所があれば、娘はちゃんと笑える。
安心できる人がいれば、自分の力を発揮できる。
そんな姿を、私は何度も見てきたからです。
- 繊細だからこそ気づけること
- 人の気持ちを思いやれること
- 丁寧に物事を感じられること
それも、この子らしさなんだと思えるようになりました。
まとめ
私は今まで、娘の繊細な性格と向き合っているつもりでした。
でも振り返ると、私は娘を通して、
子どもの頃の自分とも向き合っていたように思います。
「あの頃の私は、不安だったよね」
「頑張っていたな」
「ありがとう」
そう思えるようになったからこそ、
娘にも、
「そのままで大丈夫」
と伝えられるようになりました。
子どもを変えることよりも、親である私自身の見方や関わり方が変わること。
その小さな変化が、
親子にとって大きな安心につながることもあるのだと、今は感じています。
もし今、お子さんの繊細さに戸惑っている方がいたら。
どうか「どうしたら変えられるだろう」ではなく、
「この子は、どんなときに安心して自分らしくいられるのだろう」と考えてみてください。
子どもの安心できる場所を探していたつもりが、
気づけば私自身の安心できる場所も、
少しずつ見つけられていたような気がしています。
私もまだ迷う日があります。
心配しすぎてしまう日もあります。
それでも、
「この子らしさ」を大切にしたいという気持ちは、
以前よりずっと強くなりました。



これからも迷いながら、
娘と一緒に、
私も少しずつ成長していけたらと思っています。
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